私の自室には、一風変わったコレクションが並んでいます。それは、全国のミニチュア作家たちが手がけたゴミ屋敷の作品群です。初めてその世界に触れたとき、私は全身に電流が走るような衝撃を受けました。なぜこれほどまでに、汚れた部屋を再現したものに惹かれるのか。自分でも分かりませんでしたが、収集を続けるうちに、その理由がおぼろげながら見えてきました。それは、ゴミ屋敷ミニチュアが、私たちの文明が生み出した究極の、静物画、であると感じたからです。整然とした美術館に、極限まで汚れた部屋のミニチュアを置く。そのコントラストは、現代社会の矛盾を鋭く突きつけます。作品をじっくり観察すると、驚くべき発見の連続です。床に散乱する薬の殻、期限切れのクーポン券、埃の積もったテレビのリモコン。これらは全て、住人がこの世界で生きようともがいていた証です。作家たちは、決してゴミを蔑んでいるわけではありません。むしろ、一つひとつのゴミに対して、過剰なまでの愛情と執念を注いで形にしています。そうでなければ、これほどまでに説得力のある質感は生まれません。私の趣味は、ただ眺めるだけにとどまらず、最近では自分でもパーツを自作するようになりました。週末になると、実物のゴミを観察しに街へ出かけます。路地裏に放置された段ボールの潰れ方や、錆びた鉄格子の色味を写真に収め、それを縮尺六十四分の一の世界で再現するのです。この作業に没頭している間、私は日常の些細な悩みから解放されます。巨大な混沌を小さな箱の中に封じ込めるという行為は、世界を自分の支配下に置くような、不思議な全能感を与えてくれます。友人たちからは、もっと綺麗なものを作ればいいのにと言われますが、私にとって、完璧な美しさよりも、この綻びだらけのミニチュアの方が、よっぽど誠実で人間味に溢れているように感じられるのです。ゴミ屋敷ミニチュアは、私に多様な視点を与えてくれました。道端に落ちているゴミ一つにも、そこに至るまでのドラマがある。そんな風に世界を捉え直すことができるようになったのは、この奇妙な趣味のおかげです。私の小さな部屋の棚には、今日も静かに、手のひらサイズの絶望と希望が同居するゴミ屋敷たちが並んでいます。細かく裁断した繊維や、特殊な微粒子パウダーを静電気を利用して付着させ、何年も掃除をしていない質感を人為的に作り出します。文字情報の再現も欠かせません。ゴミ屋敷に散乱するチラシや雑誌は、住人の思考を反映する重要な小道具です。これらは専用の極小プリンターで出力された後、わざと縁を破いたり、指先で何度も擦って手垢汚れをつけたりします。こうした途方もない手間の積み重ねが、見る者を一瞬でその世界に引き込む説得力を生むのです。
精巧なゴミ屋敷ミニチュアに魅せられた私の奇妙な趣味