私が部屋をゴミで埋めるまで捨てられない心理
いつからだったか、はっきりとは思い出せない。気づいた時には、私の部屋は足の踏み場もないほどモノで溢れかえっていた。人がゴミと呼ぶそれらの山は、私にとっては鎧のようなものだった。最初は、仕事のストレスからだったと思う。毎日遅くまで働き、疲弊して帰宅する。空っぽの部屋が、自分の心の空虚さを突きつけてくるようで怖かった。コンビニで買ったお弁当の容器、読まないまま積まれた雑誌、いつか使うかもしれないと取っておいた包装紙。それらを捨てる気力もなかったが、同時に、それらが部屋に存在することで、なぜか少しだけ寂しさが和らぐような気がした。モノが増えるにつれて、人を家に呼ぶことができなくなった。友人からの誘いも断るようになり、私はますます独りになった。部屋の惨状は、誰にも見せられない私の心の弱さそのものだった。モノを捨てようと手に取ると、言いようのない不安に襲われる。「これはまだ使える」「いつか必要になるかもしれない」「これを捨てたら、大切な何かまで失ってしまう気がする」。そんな考えが頭を巡り、結局、元の場所に戻してしまう。モノたちは、過去の思い出や、実現しなかった未来の可能性の象徴だったのかもしれない。それらを捨てることは、自分の人生の一部を否定するようで、耐えられなかった。ゴミの山に囲まれていると、不思議と落ち着いた。外の世界の厳しい現実から守ってくれるシェルターのように感じられた。しかし、その安心感は偽りのもの。窓から差し込む光は遮られ、部屋の空気は淀み、私の心も一緒に沈んでいく。このままではいけないと頭の片隅では分かっている。でも、どこから手をつけていいのか、どうやってこの執着から抜け出せばいいのか、その方法が分からないまま、今日も私はモノの海の中で息を潜めている。