正直に言うと、私は「ゴミ屋敷」が登場する映画になぜか惹かれてしまう傾向があります。決して覗き見趣味というわけではないのですが、予告編やあらすじで、物が散乱した部屋が映し出されると、つい気になって観てしまうのです。不快なはずの空間なのに、なぜか目が離せない。自分でも不思議に思うこの感情について、少し考えてみました。一つには、やはりその強烈な「非日常感」への興味があるのかもしれません。自分の生活からはかけ離れた、ある意味で異世界のような空間が、スクリーンの中に広がっている。その異様さ、異常さが、怖いもの見たさのような感覚を刺激するのでしょうか。整然とした日常から逸脱した世界を垣間見ることで、ある種のカタルシスを得ているのかもしれません。しかし、それだけではない気がします。もっと深いところで、共感のようなものを感じている部分もあるのです。もちろん、私自身の部屋が映画に出てくるような状態になったことはありません。それでも、物が捨てられない気持ち、片付けを後回しにしてしまう怠惰さ、あるいは心のどこかに抱える空虚感や不安感といったものは、程度の差こそあれ、誰にでもあるのではないでしょうか。映画の中のゴミ屋敷は、そうした自分の中の弱さや、見ないようにしている部分を、極端な形で増幅して見せているように感じられるのです。登場人物が物に埋もれて苦悩する姿に、自分自身の抱える整理できない感情や問題を重ね合わせ、無意識のうちに感情移入しているのかもしれません。また、ゴミ屋敷からの再生を描く物語には、純粋に感動を覚えます。絶望的な状況から一歩を踏み出し、過去と向き合い、未来へ向かおうとする姿は、困難に立ち向かう勇気を与えてくれます。物が片付いていく物理的な変化と、登場人物の心の変化がシンクロしていく様子は、観ていて清々しい気持ちになります。もしかしたら、ゴミ屋敷映画に惹かれるのは、自分自身の心の整理や、人生のリセットへの願望が、無意識のうちに反映されているのかもしれません。不快さと共感、絶望と希望が混在するゴミ屋敷映画の世界は、私にとって、人間の複雑な内面を覗き込み、自分自身と向き合うための、不思議な魅力を持った鏡のような存在なのです。
私がゴミ屋敷映画に惹かれる理由