私の家は、市の中心部から少し離れた、昔ながらの住宅街にありました。周囲にはまだ田畑が残り、家の裏手には小さな川が流れているような、のどかな場所です。配管交換した水道修理する弥冨市ではそののどかさの象徴とも言えるのが、我が家の汚水処理を一手に担っていた「合併処理浄化槽」の存在でした。家を建てた当初は、それが当たり前だと思っていましたが、年を重ねるにつれて、その存在は徐々に、しかし確実に、私の生活に重くのしかかるようになっていきました。定期的にやってくる清掃車の大きな音、庭の隅から時折漂ってくる、あの独特の臭い。和歌山で配管専門チームがつまりを改善しても、毎年、家計に確実に計上される、数万円の保守点検費用。そんなある日、市役所から一通の封書が届きました。「公共下水道の供用開始について」。それは、私の長年の悩みに、終わりを告げる手紙でした。 しかし、その手紙がもたらしたのは、喜びだけではありませんでした。同封されていたパンフレットには、「排水設備工事」という文字と、その目安となる数十万円という費用が記されており、私の心は喜びと不安の間で大きく揺れ動きました。年金暮らしの身には、あまりにも大きな出費です。工事を先延ばしにすることもできましたが、いつまでもこの不便な生活を続けるのかと思うと、それもまた憂鬱でした。悩んだ末、私は市の窓口に相談に行くことにしました。そこで、工事費の負担を軽減するための「融資あっせん制度」があることを知り、専門の業者である「指定工事店」の中から、何社かに見積もりを依頼することにしたのです。 見積もりのために家を訪れた業者の方々は、それぞれに個性がありましたが、私が最終的に選んだのは、一番安い価格を提示した業者ではありませんでした。私の拙い質問の一つひとつに、嫌な顔一つせず、図を描きながら丁寧に説明してくれた、地元の小さな工務店の社長さんでした。彼の、実直で誠実な人柄に、「この人なら、大切な家の工事を任せられる」と、直感的に感じたのです。契約を交わし、近隣への挨拶を済ませ、いよいよ工事が始まりました。数日間、庭を重機が行き交い、土埃が舞う日々は、正直、落ち着かないものでした。しかし、職人さんたちが毎日、その日の進捗と翌日の予定を丁寧に報告してくれるおかげで、不思議と不安はありませんでした。 そして、工事が完了し、家中の水が、新しく埋設された排水管を通って、静かに下水道へと流れていくようになったあの日。私は、家の周りの空気が、明らかに変わったことに気づきました。これまで常にどこかに漂っていた、あの澱んだ臭いが、嘘のように消えていたのです。庭に出て深呼吸をすると、土と草の匂いだけがしました。それは、何年かぶりに嗅ぐ、故郷の本当の匂いのような気がしました。そして、それから数ヶ月が経ち、浄化槽の保守点てんけん業者から、恒例だった点検日の連絡が来ないことに気づいた時、私は改めて、下水道のありがたさを実感しました。もう、あの業者との日程調整や、点検の立ち合いに、頭を悩ませる必要はないのです。 確かに、下水道工事には、まとまった費用がかかりました。しかし、その後の生活で得られたものは、その費用を補って余りある、計り知れない価値のあるものでした。臭いや騒音、維持管理の煩わしさといった、日々の小さなストレスからの解放。それは、私の心に、想像以上の平穏とゆとりをもたらしてくれたのです。今、私は、家の裏の川べりを散歩するのが日課になっています。以前よりも、川の水が少しだけ澄んできたように感じるのは、気のせいではないでしょう。あの日の決断は、単に我が家の生活を快適にしただけでなく、この地域全体の環境を、未来へと繋ぐための、ささやかながらも、確かな一歩だったのだと、そう信じています。
下水道工事が私の暮らしを変えた日